プロ野球選手の高校時代を振り返るコーナー。
今回はプロ2年目でブレイク中の東京ヤクルトスワローズ・村上宗隆選手です。
若干19歳ながら「松井秀喜級か?」との声も聞かれるほどの大物感がすでに漂っています。
しかし高校時代の村上宗隆選手はというと、決して名が広く知れ渡った選手ではありませんでした。
そこで今回は、
といったギモンにお答えします。
この記事を読むことで、村上宗隆選手の高校時代がわかります。
それでは順番に見ていきましょう。
Contents
ヤクルト・村上宗隆は熊本の九州学院高校出身!
https://twitter.com/pinksakuragai/status/1133523493813809152
出身小学校中学校と九州学院に進学するまでの経歴
東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手は、2000年2月2日に熊本県熊本市で生を受けました。
野球を始めたのは4歳のときで、地元の軟式野球チームでの試合にも出場していました。
村上宗隆選手は生まれ故郷の熊本県で高校まで過ごしていて、
熊本市立託麻南小学校
↓
熊本市立長嶺中学校
↓
九州学院高校
と進学しました。
中学時代は「熊本東リトルシニア」に所属し、九州選抜にも選ばれたこともあります。
そして、高校は春夏計14度の甲子園出場を誇る、熊本県の強豪校のひとつ九州学院高校に進学しました。
甲子園出場は1度のみでノーヒット!高校通算ホームラン数は52本のスラッガーだった!
2015年に九州学院高校に進学した村上宗隆選手は、1年生からファーストのレギュラーに定着しました。
そして、いきなり1年生の夏に熊本県大会を勝ち抜き、夏の甲子園出場を果たします。
村上宗隆選手は1年生ながら夏の甲子園初戦では4番バッターとして出場しました!
しかし、甲子園での成績は
第1打席:サードゴロ
第2打席:サードゴロ
第3打席:センターフライ
第4打席:セカンドゴロ
と4打数無安打に終わり、しかも守備では2失策…
チームも遊学館高校に3-5で敗れてしまいました。
1年生で九州学院の4番を張り、今後の甲子園での活躍も期待された村上宗隆選手。
しかし、高校時代の甲子園出場は1年夏の1度だけに終わってしまいました。
当時の熊本県は秀岳館高校が3季連続甲子園でベスト4と、県内では圧倒的な強さを誇っていました。
村上宗隆選手の九州学院は秀岳館高校の厚い壁に跳ね返されてしまったんですね…
村上宗隆選手は2年生の秋からはチームのキャプテンに就任しました。
プレーの面でも精神面でも九州学院の中心として活躍した村上宗隆選手。
甲子園出場は1度だけでしたが、188cm・97kg(公称)の恵まれた体格で、高校通算52本塁打を記録しました。
この大物スラッガーにプロのスカウトも当然注目しました。
2017年秋のプロ野球ドラフト会議は清宮幸太郎選手に注目が集まりましたが、村上宗隆選手も3球団から1位指名を受け、クジを引き当てた東京ヤクルトスワローズに入団しました。
そして、プロ2年目の2019年は5月終了時点で14本塁打の活躍!
ヤクルトでは山田哲人選手の次の世代のスター選手として大いに期待されます。
まとめ:ヤクルト村上宗隆選手の高校時代
ここまで東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手の高校時代を中心にお伝えしてきました。
まとめると、
- 熊本県の九州学院高校出身
- 1年生からレギュラーで2年生
- 高校1年時に夏の甲子園出場
- 甲子園出場は1度のみで4打数無安打
- 高校通算52本塁打
になります。
村上宗隆選手の「高校時代の甲子園」にスポットライトを当てると、悔しさだけしか残ってないのではないかと想像できます。
悔しさを胸にプロの世界に飛び込んだのではないでしょうか。
強打の打撃力を買われてヤクルトに入団した村上宗隆選手は、入団後すぐに山田哲人選手、バレンティン選手に弟子入りしました。
リーグを代表する強打者2人とチームメートになれたことも村上宗隆選手の飛躍を加速されていると感じます。
高校時代に甲子園では活躍できなかった村上宗隆選手ですが、プロでは大輪の花を咲かせてほしいものです。