高校野球のギモン

甲子園の土を最初に持ち帰った人が”打撃の神様”だったというのはウソ?本当?

甲子園での高校野球の試合後に、高校球児が甲子園の土を袋に入れている姿は誰しもが一度は目にしたことがあると思います。

そこで、

 

ドラゴ
ドラゴ
甲子園の土を最初に持って帰った人って誰なんだよ…

 

というギモンが湧いてきませんか?

甲子園の土を最初に持ち帰ったのは「打撃の神様」の異名をとった”あの方”だったという説があります。

果たしてその説はウソなのか?本当なのか?

甲子園の土を最初に持ち帰った人は”打撃の神様”こと川上哲治さんなのか!?

日本のプロ野球で最初に2000本安打を達成したのが川上哲治さんだというのはご存知でしょうか?

「打撃の神様」と言われており、野球ファンなら川上哲治さんを知らない人はいないというほどの”偉人”です。

巨人の「V9」を指揮した監督としても有名ですよね。

 

そんな川上哲治さんですが、なんと

「甲子園の土を最初に持ち帰った人」

という説があるのです!

 

阪神甲子園球場のホームページにグラウンドの「黒土」に関するQ&Aのコーナーにこのように書かれています。

・甲子園の土を初めて持ち帰った人
 川上 哲治 (1937年、夏の23回大会)という説があります。

阪神甲子園球場公式HPより引用

 

実際に甲子園球場の公式サイトに書かれていますが、あくまでも「説があります」ということなので、実際に川上哲治さんが甲子園の土を最初に持ち帰った人なのかどうかは確証がありません。

ウソなのか、本当なのかは「神のみぞ知る」というのが結論になります。

 

川上哲治さんは1937年に熊本工業高校の野球部員として甲子園に出場し、チームは準優勝でした。

悔しい悔しい決勝戦での敗戦…

川上哲治さんは後輩たちの活躍を願い、甲子園と熊本工業高校を結びつけるべく甲子園の土を自分の靴下に入れて持ち帰り、熊本工業高校のグラウンドに甲子園の土をまいたのだそうです。

 

現代でも川上哲治さんと同じ想いで甲子園の土を自分の学校のグラウンドにまく高校球児はいます。

甲子園の土を持ち帰るのは決して自分自身の思い出のためではないんですね。

 

そんな後輩想いだった川上哲治さんですが、実は川上哲治さん以外に、甲子園の土を最初に持って帰った人には2人の名前が挙がっています。

いったいどんな人なのでしょうか?

 

ドラゴ
ドラゴ
色んな意味で川上哲治さんってスゲーな…




川上哲治さん以外に名前が挙がっている2人は誰?

甲子園の土を最初に持ち帰った人には、川上哲治さん以外にも2人の名前が挙がっています。

 

ドラゴ
ドラゴ
有名な人なのかな?

 

1946年の筑波大付属高・佐々木迪夫監督「来年また甲子園に戻ってくる」

1946年の夏の甲子園の準決勝で敗退した筑波大付属高(現校名)の選手が最初に甲子園の土を持ち帰ったのではないか、という説があります。

筑波大付属高の佐々木迪夫監督は準決勝での敗戦後に、各ポジションの土を持ち帰るように最上級生以外の部員に命じました。

「来年また甲子園に戻ってくる」

という強い決意の現れが、甲子園の土を持ち帰るという行動に至りました。

甲子園での敗戦を糧に練習に励んだのだ思いますが、残念ながらその後筑波大付属高は甲子園に出場することはできませんでした。

 

1949年の小倉高・福嶋一雄さんは「無意識のうちに…」

当時夏の甲子園3連覇がかかっていた小倉高(現校名)のエース福嶋一雄さん。

1949年の大会では肘を故障して準々決勝で破れてしまいました。

福嶋一雄さんは今の高校球児のように敗戦後に土を入れたのではなく、無意識のうちに足元の土をズボンのポケットに入れていたのだそうです。

当の本人も土をポケットに入れていたとは気づかず、大会副審判長からの速達で知ったのだとか…

福嶋一雄さんは後にこうおっしゃってます。

「土を拾ったことは覚えていないし、私が(持ち帰った)第1号かどうかということも知らない。そのことについては肯定も否定もしませんよ」

引用元:東京中日スポーツ

 

福嶋一雄さんが無意識にとった行動が、こうして語り継がれるところに高校野球のロマンを感じます。




まとめ:甲子園の土を最初に持ち帰った人

甲子園の土を最初に持ち帰った人には諸説があり、結論をいうと「誰が最初に土を持ち帰ったのかはわからない」ということになります。

3つの説をまとめると、

  1. ”打撃の神様”川上哲治さんが1937年に甲子園の土を持ち帰り、熊本工業高校のグラウンドに土をまいた、と甲子園球場のHPでは掲載されている
  2. 1946年に筑波大付属高の佐々木迪夫監督が、「来年も甲子園に戻ってくる」という気持ちの現れとして、各ポジションの土を持ち帰るよう球児に指示した
  3. 1949年に小倉高の福嶋一雄さんが「無意識のうちに」ズボンのポケットに甲子園の土を入れていて、大会副審判長からの速達でその事実を知った

になります。

 

「甲子園でプレーできた思い出に」

「後輩にも甲子園と同じ土で練習できるように」

「敗戦の悔しさを忘れないように」

様々な想いで高校球児は甲子園の土を持ち帰ります。

何気なく高校球児が甲子園の土を持ち帰っている姿を見ていましたが、様々な想いが込められていて、改めて甲子園の土は高校球児にとっては特別なんだ、と実感しました。

 

ドラゴ
ドラゴ
甲子園だけは永遠に土のグラウンドであってほしい…天然芝になるとか絶対にイヤ!

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